42歳、脳梗塞で入院した。面会できない病室で、洗濯物のことを考えていた

突然、動けなくなる日が来た
42歳のとき、脳梗塞で入院した。
それまで健康診断で大きな引っかかりもなく、
普通に走り、普通に働き、普通に暮らしていた。
「自分には関係ない病気」だと思っていた。
昼、いつもと違う感覚が体に走った、
気づけば救急車のサイレンの中にいた。
入院は決まった。
ベッドに横になって、点滴を受けながら、
ぼんやりと天井を見ていた。
ちょうど、コロナ禍の真っ只中だった。
面会できない病室で、生活は続いていく
家族との面会は、できなかった。
入院は数週間に及ぶ予定。
体は思うように動かない。
スマホでLINEのやりとりはできても、
顔を合わせることはできない。
そして、生活は続いていく。
入院着の替えがいる。
タオルが必要になる。
下着も着替える。
つまり——
洗濯物が、毎日溜まっていく。
妻に頼むしかなかった。
「悪いけど、洗濯物だけ取りに来てほしい」
病院の入口で、紙袋だけが行き来した
妻には、子どもの世話と仕事がある。
そのうえ、僕の入院。
それでも妻は、何度も病院まで来てくれた。
ただ、面会はできない。
病院の入口で、看護師さん経由で、
紙袋に詰めた洗濯物だけを渡してもらう。
数日後、また同じ場所で、
洗ってたたまれた洗濯物が、
紙袋で返ってくる。
直接顔を合わせることもなく、
ただ袋だけが行き来する。
その状況が、つらかった。
妻は何も文句を言わなかった。
むしろ「気にしないで」と言ってくれた。
でも、僕は申し訳なかった。
本当に、申し訳なかった。
「自分が動けない」ことが、誰かの負担になる現実
自分の体が動かない、というのは、
ただ「自分が困る」だけじゃない。
身の回りのことを、誰かにやってもらうしかなくなる。
入院期間中、ずっと考えていた。
自分が倒れたことで、妻は仕事を調整し、
子どもの世話を一人で回し、
そのうえで、僕の洗濯物まで取りに来ている。
洗濯ぐらい、と人は言うかもしれない。
でも、その「洗濯ぐらい」が、追い詰められている人の最後の一押しになる。
僕は健康に戻れたから、いま振り返って書ける。
でも、あの病室で感じた「申し訳なさ」は、
一生忘れないと思う。
あの体験が、タクセンの原点のひとつになっている
タクセンは「忙しい人が時間を取り戻すサービス」として説明されることが多い。
それは事実です。
でも、根っこにはもうひとつの動機がある。
「動けない人の代わりに、誰かが洗濯を抱え込まなくていい仕組み」
たとえば、
- 入院した人の代わりに、家族が病院まで通わなくていい
- 介護や育児で家を空けられない人が、追い詰められなくていい
- 一人暮らしの高齢者が、家族に頼まなくていい
そういう場面で、宅配で完結する洗濯代行は、
小さいけれど確かな救いになるはずです。
便利さの話だけじゃない。
人の余裕を、ほんの少しだけ広げるための仕組み。
タクセンの原点のひとつは、
あの病室で感じた申し訳なさです。
二度と、誰かにあの気持ちを味わわせたくないから、
このサービスを形にしようとしています。
