「これくらい、自分でやらなきゃ」を疑ってほしい——洗濯は人に託していい家事です

「これくらい」が、いちばん人を追い詰める言葉
タクセンを作りながら、たくさんの人と話してきました。
仕事と家事を両立しながら、ヘトヘトになっている人。
夜中に洗濯機を回している共働き夫婦。
ワンオペで子育てしながら、自分のことが後回しになっている人。
そんな人たちの口から、必ず出てくる言葉がある。
「これくらい、自分でやらなきゃ」
軽い言葉に聞こえる。
でも、よく聞いていると、これが
いちばん人を静かに追い詰めている言葉だと気づきます。
「これくらい」のなかに、何時間が入っているのか
「これくらい」と言うとき、その人は、何を指しているのか。
たとえば、洗濯ひとつ。
- 脱いだ服を集める(2分)
- 仕分ける(2分)
- 洗濯機を回す(5分の操作 + 待ち時間)
- 干す(15分)
- 取り込む(10分)
- たたむ(20分)
- しまう(5分)
これだけで、1日約1時間。
そして、頭の中では「明日の天気」「朝までに乾くか」を常に気にしている。
「これくらい」と言って手を動かしているこの作業は、
週で7時間、月で30時間、年で360時間。
360時間って、15日間です。
人生の1年のうち、半月を洗濯に使っていることになる。
それは、「これくらい」と呼んでいい量でしょうか。
「みんなやってることだから」は、判断の根拠にならない
もうひとつ、よく聞く言葉があります。
「みんなやってることだから、私もやらないと」
これも、優しい人ほどよく言う。
でも、「みんな」って誰でしょうか。
- 専業主婦で、家事に時間を割ける人?
- 親と同居で、サポートがある人?
- 子どもがいなくて、夫婦2人だけの家庭?
それぞれの「みんな」は、ぜんぜん違う条件で家事をしています。
自分とは違う条件の人の「やっている量」を基準にするのは、
冷静に考えると、ちょっと無理がある。
「みんなやってる」と思って自分を追い詰めるとき、
たいてい、その「みんな」の中に
自分と同じ状況の人は、あまり含まれていない。
「私が頑張れば回るから」は、いちばん危険な言葉
そして、いちばん危険なのが、これ。
「私が頑張れば回るから」
確かに、頑張れば回る。
昨日も回した、今日も回す、明日も回せる。
でも、その「頑張り」は、無限じゃない。
体は無限じゃない。心も無限じゃない。
「私が頑張れば回る」と思っているうちは、
家族も周囲も、その頑張りに気づきにくい。
だから、限界が来るまで、誰も「楽にしよう」と言わない。
そして限界が来た時には、もう本人が動けなくなっている。
洗濯は、人に託していい家事です
ここで、はっきり書いておきたい。
洗濯は、人に託していい家事です。
掃除を、ルンバに託している人がいます。
食器洗いを、食洗機に託している人がいます。
食事を、ミールキットや外食に託している人がいます。
それは、サボりでも、贅沢でもありません。
自分の時間と体力を、優先順位の高いことに振り向けているだけです。
洗濯も、同じです。
洗濯機を回し、干し、たたみ、しまう——
この一連の作業を、家族や工場や仕組みに託しても、
あなたが家事を放棄したことにはなりません。
それは、家事の優先順位を整理した、賢い判断です。
時間は、買っていい資源です
「お金で時間を買う」というと、
贅沢な響きがすると言う人がいます。
でも、考えてみてください。
電車に乗ること。
スーパーで惣菜を買うこと。
コンビニのコーヒーを買うこと。
これら全部、お金で時間を買っている行為です。
歩けば時間がかかる、自炊すれば時間がかかる、ドリップすれば時間がかかる。
それを、お金を払うことで短縮している。
僕たちは、毎日、当たり前に時間を買っています。
洗濯だけが「自分でやらなきゃ」というのは、不思議な話だと思いませんか。
あなたが楽になることに、罪悪感はいらない
いちばん印象に残っているのは、こういう声です。
「最初の1回目、罪悪感がありました。
こんなに楽していいのかな、って。
でも、2回目から、もう普通になっていました」
罪悪感は、最初だけ。
本当は、不要だった感情。
「これくらい、自分でやらなきゃ」
「みんなやってることだから」
「私が頑張れば回るから」
その「当たり前」を、ひとつずつ、ほどいていきませんか。
タクセンは、そのための小さなきっかけになりたいと思っています。
